不愉快極まりない

何はさておき、被害者と遺族の方にはお悔やみ申し上げる。
奇しくも7年前に同じような事件が。そのときの日記から。

 一言「嫌な事件」と言えば何のことかわかる、と言うのが一番嫌なことではあるんです。そう言う出来事が起きた、と言うことが。
 ただ、亡くなった児童の遺族や周囲の方が犯人を死刑にして欲しいと望むのは感情論としても至極当然の事だと思いますし、反論はしませんが、個人的には死刑にはして欲しくない、とも思ったりしています。
 この犯人、自動車で学校まで乗り付けておきながら、「何度も自殺を図ったが死にきにれなかった」「死刑にして欲しい」等と言ってるそうです。何をふざけたことを言ってるのでしょう。自動車を持っているなら、それだけで自殺しようと思えばその方法がおよそ二つ増えるんです。峠道から落っこちるか、海に突っ込めば良いんです。自分を殺す勇気が無いから他人に殺して貰おう等、何を甘いことを考えているのか。生きたくても生きられない人や、自分が奪った命を何だと思っているのか。
 その様な「甘ったれ」に死刑を与えては、遺族の気が(多少)晴れるとしても、それこそ犯人にしてみれば願ったり叶ったりな訳で、むしろ殺して欲しいと思う犯人には「殺させない・死なせない」ことの方が罰としては相応しいように思います。
 ただ、仮に司法がその様な判断をしたとしても、そのために自分たちの税金が使われるのかと思うとあまりにも勿体無いようにも思います。
 私自身は自殺を考えたことはありませんし、それ自体するべきではない、と思っているのですが、今回は例外。
日記 2001年6月

今回も犯人に対して思うことはそんなに変わんないなぁ、と言うところ*1
自分自身は自殺には否定的だけど、本当に世の中が嫌なら当人がそこからオサラバする以外の解決策はそれ程多くなかろう。
どのような解決策が最もいいのかは脇においても、確かなことはそこに他人を巻き込むのは許されない、と言うことだ。
他者を殺め、自らは生き残って「世の中が嫌になった」とは話にならん。仮に死んでも同じことだが。

*1:向こうには更にもう一言、わざと見辛くして書いた一文があるが、そこも含めて