お返事

id:hiyokoyaさんから頂いたコメントに向けて。
「ゲームによるプレイヤーへの影響はある」と仮定して、ゲームの中の何が最も影響を与えるかと言う事を考えたときに、当時の悪影響論と現在のそれとは異質の物であり、無関係ではないが全く同様でもない、と言うのが当時の経緯を調べての感想です。
現在の悪影響論は、(それを唱える人にとって)馴染みの無かったビデオゲームが広く普及する中で偶々目に付いた暴力表現に対する嫌悪感を出発点にしているか、或いは「実際の映像のようなリアリティを持つ架空の映像で」暴力行為を行う事への懸念が中心となっている(ように見える)のに対し、デスレース2000の場合は「『政府公認の』殺人レースと言う非倫理的なゲーム内容」を批判のターゲットにしているように思えます。
日本より早くビデオゲームが登場しているアメリカとは言え、日本でもインベーダーゲームが登場する前の時代ではドット絵で表現されたゲームだったはずで、当時のコンピュータのグラフィック能力を想像すれば映像的には現在よりずっと記号的だったのではないか、と思ったからなのですが、そう判断するにも資料となる物は手元には無く、ネット上にあるものを読んでの印象ですし、ゲーム画面については写真も見つけられませんでした。どんなゲームだったか見てみたいとは思いますが、日本は勿論アメリカでさえ完動品があるか疑問…(笑)。

日本国内での「不良のたまり場」としてのゲームセンターのイメージが規制の根拠にあると言うのはその通りだと思います。ゲーム業界も特に90年代以降はそれを払拭するために随分エネルギーを注いでいたように思います。それに大きく貢献し、現在のゲームセンターのイメージ形成に大きな影響を与えたのはクレーンゲームやプリントシール機の登場でしょうね。
家庭用ゲームでの(現在の)悪影響論というのは記憶にある限りではそれほど昔からあった訳ではなかったように思います*1。「ジャスト・フェアリーテール事件」も、キッカケは中学生の万引きだったそうですが、彼が万引きをせず堂々と買っていれば*2あのような事にはなっていなかったかもしれません。
「ずっと前からあったのに何かのキッカケで世間が大々的に騒ぐ」と言う点では、宮崎勉事件の「ロリータアニメ」、チョコエッグの「海洋堂」、最近だと「アキバ系」なども似たような物だと思います*3。好意的に受け入れられるかどうかは別ですが。何だかマスコミの目に留まるかどうかがポイントみたいに思えてきた(笑)
ファミコンブームと共に合った悪影響論って、ゲームの表現云々と言うよりも「ゲームそのものに時間を割く」事に起因する生活リズムの乱れやテレビを見続けることから来る視力への影響とか、そう言う方向で語られることが多かったように思いますし、現在の物とは区別するべきだと思います。


…と言うテキストを昨夜アップしようとして途中で寝る(笑)
で、昨日の「情報ライブEZ!TV(フジテレビ系)」でVIRAL CM*4を紹介してたんですが、その中で小島奈津子が「テレビと違って放送の際の規定が無い」事とあわせ「(映像が流れてくるテレビと違い)興味のある人が自分から見に行く」ので過激な映像を作る事が出来る、と説明していました。家庭用ゲームも買わないと遊べない*5と言う点では同じですし、そう言う表現があることを明記した上で大人が買い与えるなり保護者が子供の遊んでいるゲームに関心をもって接するならば神奈川県のようなやり方の規制は行き過ぎだと思うわけです。
メーカーとユーザーの間で暗黙の了解があって規制なんて無くてもお互いに大丈夫と言うのが理想なのかもしれませんが、そんな事はありえない以上、ある程度の規制はあった方が良いとは思います。そのためのレーティングなのでしょうし。

*1:そもそもテレビゲームに暴力描写が少なかったと言う事情もあると思います。実際、暴力描写を根拠に18歳以上推奨と年齢制限をかけたPCエンジン版のリンダキューブが「テレビゲーム初のHシーン無し18推」を広告に謳ったくらいですから

*2:当時は年齢制限なんてありませんでしたし、私自身も高校生でしたがその種のゲームを買った経験があります

*3:風太も同類か?

*4:インターネット上でしか見られない過激な映像のCM。3ヶ月くらい前にはテレ東系の「ワールドビジネスサテライト」でもバイラルマーケティングとして紹介してたらしく、ここから拾ったネタかな?とか思った

*5:借りるのは?→貸す方が判断してください 盗むのは?→それ自体が犯罪です