見当外れ?

昨日の話と関係有る様な無い様な思い付き。
例えば17〜18歳ぐらいの少年が誰かを殺すって事件がおきたとして、彼について以下のような事柄がわかっている、とする。

  1. 暴力表現を含んだゲームを複数持っていた。データを調べるとどれも結構な時間をかけており、この種のゲームが好きな模様。
  2. 祖父・祖母は生まれる前または生まれて間も無く他界しており、友人・ペットなども含めて「身近な死」の体験が無い。

事件の要因として大きく働くのはどちらだろうか?って話。

仕事中なので最低限のことだけ(爆)


帰ってきたのでちょっと追記
似たような調査は他にもいくつか例があるけれど例えばこんなの。
「人生き返る」「自分不死身」 県内小中学生2割が回答

兵庫県内の公立小中学生の約二割が「死んだ人は生き返る」「自分はたぶん死なない」などと考え、ゲームやパソコンに接する時間が長い子どもほどその傾向が強いことが、教員や専門家らでつくる「兵庫・生と死を考える会」の調査で分かった。
(中略)
 小学五年―中学二年に「人は死んでも生き返れるか」と質問したところ、10%が「生き返る」、13%が「たぶん生き返る」と回答。「自分は死ぬと思うか」との質問には、16%が「死なない」「たぶん死なない」などと答えた。

この2割の何人かが槍玉に挙げられたGTA3みたいなゲームをやっていて、そのうちの1人が計画的にしろ衝動的にしろ何らかの動機で誰かを殺したとして、彼が犯行に及んだのはゲームで刺激を受けたからなのか、誰かの死と言う体験が無かったために思い留まること無く犯行に及んだのか。
こう言う事件の背景として、ゲームが何らかの影響を与えた可能性は否定しない。何らかの販売規制は恐らくあった方が良い*1。けれども、何かを経験したことがあることが事件を起こす引き金として存在するなら、踏みとどまるブレーキになる経験というものが存在して然るべきではないだろうか。
色々似たような例を挙げたけど、要するに「何故犯行に及んだか」を調べるのは警察には重要だけど、教育という面からは「何故思い留まることが出来なかったのか」を調べる方が大切なんじゃないか、と思った次第。

所詮思い付きなんで、この発想が適切かどうかは知らん。

*1:既に書いたけど今はまだ公的規制の出番ではないと思う