ゲーム規制論と名物教授

はてなを漂流中に見つけた話。何度もあちこちで見かけるテーマですが、やはりその度書きたくなるものなので、あくまで今の考え方を示しておくことにします。
ゲームと犯罪 - おれはおまえのパパじゃない
やはり野放しにしておくべきではない、けれどもその網は自ら掛けるものなのか自治体とか政府の手によるものなのかによって効果も意味合いも全く違った物になってしまう。しかし恐らくは自主的な方策によって規制されるほうが望ましいのだろうと思います。

理由の一つは、自治体や国が規制を掛けることが憲法で保障された表現の自由を侵害するんじゃないか、ということ。もっともこっち方面は疎いのでこれ以上のコメントは控えますが。
もう一つの大きな、そして現実的な問題として、規制対象となるタイトルの選定を自治体などに任せることで果たして実効性が確保できるのか、と言うこと。
ゲームに起因する犯罪を抑制する効果を狙っているのであれば、規制するゲームはなるべく発売から早い段階で対象と定められなければ意味がありません。しかし、神奈川県がわざわざ条例まで定めて規制をしたゲームは既に発売から2年が過ぎようとしており、廉価版ですら既に発売から半年経過しています。昨年5月発売のこの続編のゲームすら先月廉価版が発売されています。商品としての寿命がそれほど長くないTVゲームの世界では、こんなゲームの販売を規制してどれほどの効果があると思っているのか疑問です。この対応の遅さが条例や法の限界であると私は思います。
次々発売されるゲームのどれを規制するべきか、仮にその遅さを打ち消すにふさわしい判断力を持った団体に決定権を委ねるとして、どこが適当であると考えるか。それは現時点ではCESAでしょう。ならばそれは自主規制と大差ありません。

で、親殺しと兄殺しが続いたもんでゲーム脳がまた湧き出てきた模様。
このゲーム脳、テラヤマ氏は「そろそろマスコミは森さん以外の人材をみつけてくるべきだと思った」と仰っていますが、私は森氏がブラウン管から姿を消しても日本にゲーム脳神話が定着する可能性は高い、と考えています。
理由は簡単で、脳波・脳の仕組みに無知あるいは知識の乏しい人々=専門外=番組製作者及び一般の視聴者に対してゲーム脳説は非常にセンセーショナルで注目を集めやすく、その一方でテレビゲームを社会悪に仕立てるのに非常に好都合な考え方です。番組が作りやすくなりますし、子供(以外でも良いんですが)をゲームから引き離す建前になりますから、ゲームに奪われていたテレビの視聴時間を取り戻す効果も期待できるかもしれません。
マスコミはこの種の誤った知識・情報を簡単には訂正しません。今から「ゲーム脳とは脳の前頭前野がゲームに慣れてきた状態」の事だ、とは多分誰も言わないでしょうし、言っても信じないでしょう。

きっとその正体が明るみになるまで信じ続けるんですよ。神話ですから。