父を見送りました

お勤めもほぼ終了。細かいことは残ってますが。
今日、父が74年の生涯の末、白木の箱に入って帰宅。隣部屋で眠っとります。
今までもここでは話題にしなかったので、まぁ日付とともに記録だけ、と思ったのですが。


斎場の方が「一番大きい骨壷をご用意いたしました」との事。
どの位の大きさなのかとか、どんな基準で大きさを選ぶんだろうとか思ったのですが、最終的に親戚で拾った骨の収まり方を見て、式場の方が
「このままですとすべてのお骨が収まりませんので、お詰めさせて頂きます」
って手で押さえながら骨壷を少し振ったりしまして。コレはどこの骨です、等と少し説明を貰いながら最後に頭の骨を乗せまして。
結構な量なんですよ。壷から少しハミ出てる気がする(汗)
フタを閉めるとき、上から押さえつけてんの。もうヒヤヒヤもの。いわゆる喉仏*1も綺麗に残ってたんだけど、もしかしたら割れたんじゃないかと思うくらい。
自分よりアタマ一つぐらい小さかった父ですが、随分骨太な体だったようです。


その様子を見て、今の自分が骨になってコレと同じ骨壷に入ったとき、スカスカだったら嫌だなぁ(笑)と思ってしまったのはココだけの話。
実際のところどうなるかは、焼いてみないと分かりませんが、そうすると一番知りたい本人は結果が分からないので試してみるつもりはありません。


突然の話のように見えるかもしれませんが、実は6月に白血病が見つかり、その時点で高齢のため骨髄移植ができない(=完治しない)と言われてたので、原因や時期はともかく、こうなる事は決まっていました。何より親が先に逝くのは自然なことです。
幸いにも、こう言う状況になる前から看護士をしていて職業上そう言う所に我々より詳しいのに加え、そっち関係の知覚がある(ついでに4人の子供は小さいとき皆見えたとか)親戚からイロイロと助言を頂いていたので、何と言うか心積もりはそれなりにできていたようで、悲しいと言う気にはなっていません。寂しいのは事実としてありますが、夏の入院はこれからの予行演習だったという事で。


年末商戦に入って忙しくなる時期ですが倒れて以来会社を休み続けてて、これ以上は会社に迷惑をかけたくないとは思いつつ、もう少し行政上の処理とかが残ってるので、「これからの」通常営業に戻るにはもうちょっと時間が掛かりそう。


経過を多少書こうと思ったが、長くなりそうと言うか微に入り細を穿って要らぬ事まで書きそうなので途中まで書いてコメントアウト
ついでに頼まれた時の為に考えていた遺族*2代表挨拶用の原案もコピペしておいたりして。

*1:名前こそ「ノド」仏だけれども、形が手を合わせた仏様の頭〜方〜手の部分に見立てられてついた呼び名だそうで、あごの下に飛び出てる(生きてる人間の)喉仏とは別物なんだと初めて知った、ような気がする。とりあえず実物を見るのは初めて。

*2:喪主は母だった